マシュマロはわたしを救えるか

本当はリストカットしてみたかったし、ブロンをODしてみたかった。

なにもない日に死ぬのも嫌だし(死ぬならココくんの誕生日でもある4月1日がいいに決まってる)、死後燃やされるのだって勘弁だ。生まれた場所がアメリカなどなら拳銃のトリガーを引いて死ぬのだって容易なのに、安楽死すら認めない日本という国はわたしにとって大層居心地が悪かった。

義務教育では前に倣え。反論を唱えれば異端者のレッテルを貼られるし、いつも誰かと居なければいけないそこは生き方なんてものを教えてくれなかった。いざ大人になると働きたくないという気持ちだけそこにあった。なんの職業に就けば一生食うに困らず暮らせるのか学校では教えてくれなかったし、どういう理由で労働をしなければいけないのかもちっともわからない。ただただこんな思いをするなら野に咲く花になりたかった。

大人になったわたしはただの落伍者に他ならなかった。

ついさっき、絵師の方のマシュマロに自分がうつであることなどなどの内容を綴った「毒マロ」ならぬ「鬱マロ」を送った。そんなネガティブなマロ送られても送られた方が迷惑だろう。でもわたしは誰かに聞いてほしかった。いのちの電話が繋がらないせいでもある。あまり好きではない絵師の方ではあったが、「返信不要」としたにも関わらず丁寧にも他者には見られない気配りまでしていただいた上で、励ましの返事が返ってきた。「死ななければいけない」というパニックめいた思考は不思議と落ち着いて、わたしは自分が楽しいと思えることをしようと思った。