とある夏の日

人っ子一人いない炎天下。敢えて影を避けるようにして、チリチリと水分を揮発する真昼の太陽の真下に、彼はいた。

なにをしているのかと思えば、生きているのかそうでないのか。黒塗りの学ランに身を包み、ひっくり返った蝉を誰よりも真剣に、一心不乱に木の棒で突いている。何もこんな日にこんな場所に居なくても。いや、こんな日にこんな場所に居るからこそ、目の前の少年は球磨川禊なのだった。

いくら彼が涼しげな顔でいると言っても、暑くないわけがないのだが。そこは過負荷クオリティー。同じ人間、哺乳類と言っても、なにかがどうにか違うのだ。

「やめてあげたらどうですか?球磨川先輩」

蝉がかわいそうです。

呆れたように(というか心の底から呆れていたのだが)わたしがそう言うと、『おかしな話だよ。それじゃあ蝉より僕の方がかわいそうじゃないみたいじゃないか』などと反論してくるので、「炎天下の元、死んだ蝉を相手にするかわいそうな人ではありますが、それとこれとは話が別です」と返すことになった。

『ふうん。じゃあそんなかわいそうな僕を木の棒で突く君は、よりかわいそうな人だね!』

いや、木の棒で突いてないし。もし突くとしたらヒノキの棒だ。こうして対峙していると、日々淡々コツコツとレベル上げして、この目の前の大魔王を倒したい衝動に駆られる。が、それはまたの機会ということで。

わたしは見事に出来上がった入道雲に目を向け、胸いっぱいに湿気じみた空気を吸い込んで言う。

「こんなところにいると熱中症になりますよ。移動しましょう球磨川先輩。ほら、塩飴食べますか?」

わたしが制服のポケットから飴を取り出すや否や、先程までご執心だった蝉のことなど忘れたように持っていた木の棒を放り投げ、朗らかに微笑む彼の姿は魔王などには到底見えず。

『ありがとう!君ってとっても優しい女の子だね!』などと満面の笑みをもって言うものだから、わたしはいつまで経ってもこの小さな大魔王を倒せずに、とある夏の日、ヒノキの棒を持つ使命を行使できずにいる。