魔法使いとさよなら

 

ボクは、女が嫌いだ。
女が嫌いであることと釣り合いをとるように、男が好きというわけでもない。
女も男も別け隔てなく、人間という生き物の大半が嫌いだったし、その中にはこのボク、ウェイバー・ベルベット自身も例に漏れず含まれていたりする。ボクは自我を抱えた欲張りで我儘な人間が、身の丈に合わない夢や野望を懐き、そのくせ夢を見るだけ見て努力はせずに、無知で無謀な愚かさを大言で誤魔化すような人間を、嫌悪せずにはいられない。人間のことごとくに唖然とすることが、いっそボクに課せられた使命のようでもあった。
中でも女という生き物は、終始最悪の一言に尽きる。アイツらといえば、虚飾と虚言を等配合で擦り合わせたすり鉢に、一振りの呪いをかけた存在にも等しい。素顔なんて見抜けやしないほどブ厚い化粧を顔に施し、半径数十メートルにも及ぶ臭い香水を常に垂れ流し続け、顔のいいヤツ、金のあるヤツ、頭のいいヤツを見るや否や、体をくねらせ音もなく擦り寄る極めて低俗な生き物。それがボクの識る限りにおいての、女というイキモノだった。 そんな脳を使わず生きている異界のモノと、一体どうやってコミュニケーションを取れというのだ。
異世界より招きし魔獣を手懐ける悪趣味な心意気など、このボクにはまだ持ち合わせがなく、当然迎えるべきこの話の帰結はいつだって、「できれば一生、ヤツらと関わりを持ちたくない」というものだった。

そう。ボクは女が嫌いだ。
女がボクを嫌いなんじゃなくて、ボクが女を嫌っている。
18年間生きてきていまだ交際経験がないのは、偏にボクの女嫌いによるもので、昨日、召喚魔術専攻科に在籍する、見た目ばかりいっぱしにいじり回した軟派野郎の言うような、「モテない」などという低俗な理由では断じてなかった。

「選んでるのはこっちだってんだ」

よ!悪態と共にテーブルに拳を叩きつけると、なみなみに注がれたカフェ・オレがあわや転覆しかけ、慌ててマグカップを持ち上げれば、今度は熱々の液体に手を焼かれそうになる。声にならない悲鳴を上げつつ、腰を下ろしていたリラックスチェアから立ち上がったり座ったりの大悶絶を強いられた。

「ボクはコメディアンじゃないぞ!」

カフェ・オレを床に避難させた上でまたテーブルを叩く。衝撃がガラスボードの上を一目散に駆けぬけ、ついでに右手の芯がじんとした。
それは誰に向けた糾弾でもない。強いて言えば、昨日の屈辱に耐えられなかった。ボクは忌まわしい軟派野郎の顔を声と発言と趣味の悪い柄をした靴下を、憎々しくスローモーションで反芻すると共に、視界と思考を白色にショートさせながら、市営の図書室から借りだしたノートパソコンとかいう電子機器のモニターに視線を結ぶ。そこに映し出されているのは、女の顔がキモイくらいに整然と並んだケバケバしい配色のホームページ。何度見たって昼に食べたサンドウィッチを戻しそうになる。
ボクは、明日、童貞を捨てる。かもしれない。予定だ。あくまで。一応は。今のところな。
…それは別に「経験がないインテリ野郎」などと、揶揄されたからではない。 単にボクが、女という生き物になんの感情も抱いておらず、なんの固執もないことを証明するために挑む行為だ。

そこに文字を打ち込めば知りたい情報を瞬時に収集できる、ということらしい、最早魔法の域にすら及ぶ世紀の発明品の用途にならい、ボクはケンサクボックスの中に適当な語句を詰め込み、ケンサクボタンにカーソルを合わせ、人指し指にありったけの恨みを託し、エンターキーを押下する。ロクに利用規約を読みもせず、上位にヒットしたサイトの一件に約束を取り付ける電子文書を送付した。
予約完了を旨とする返信は、ものの数分で返ってきた。こういう店は本来、未成年は入れないらしいが、サービス内容がわりかし甘く、ボクの年齢から入店可能とした店があったのでそこに目星をつけた。まあ、見るからに怪しいし、非合法かもな。
魔術の家系としてはひよっこも同然だが、確かに魔術師の血脈を受け継ぐ魔導ベルベット家の嫡男として生まれ落ちて以降、自分が今から行おうとする行為が果たして合法か非合法かなどいちいち考えたこともなかったし、魔術に生きない一般人向けに設けられた法律など、ボクにとってはなんの抑止にも抑制にも、また、物事を選びとる際の判断基準にもなりはしなかった。

翌日。
店を訪れたボクが通された部屋には「さよなら」と名乗る女がいた。
ふざけた酷い名前だ。聞いた100人が聞いた100人共に、そう口にすることだろう。どうせ源氏名だろうが、それにしてもあまりにもあんまりだ。
何度本当の名前(と言っても、所詮それすらこの場だけの偽名だけどな)を尋ねても、ソイツはオウム返しに「それがわたしの名前です」と答えた。「ボクを馬鹿にしているんだろ」と人差し指を眼前に突きつけようとも、腕を組み口を閉ざそうとも、ソイツは心から申し訳なさそうに唇を噛み、頭を下げるのだった。勿論そんなの、芝居に決まっている。本当に悪いなんて思ってるもんか。女という生き物は、狡くて汚いイキモノだ。

「さよなら」は美しい黒髪をした東洋人だ。体のパーツのひとつひとつが小さい。控えめで生気に乏しく、生きることが苦手な人間だということが、会った瞬間に伝わった。まるで誤って命を吹き込まれた人形のような、そんな拙く儚い印象。ボクより身長が低いことと、あまり口数が多くないところを気に入った。気に入らないところは、挙げればキリがないので割愛。
その店のサービスは、あけすけに言ってしまえば本番ナシ。追加料金による特殊な奉仕もない、ただ女の子と手を繋いでおしゃべりして添い寝するとか、そういった生ぬるい内容。
…そんなことだろうと思った。まあ、特別ナニをしたかったわけでもないし、それでもいいか。
「さよなら」から店のシステムをひと通り説明された後、安堵のような妥協のような、なんとも判然としないため息がボクの口から漏れていた。
室内のモニターにはディズニー映画が映し出されている。白雪姫が小人と一緒に踊ってる。軽快な音楽が流れだす。鳥は歌い、風は導き、月は祈る。教育にヨロシクない空間に、教育にヨロシイ映像が漂うすっげえ異空間。徹夜で研究を三日間ぶっ通しでした時よりも、遥かに気が狂いそうだ。

「なあ、オマエ」
「はい」
「ボクはここで何をすればいいんだよ。ここに来る客はみんな何をして行くんだ?」

目の上で真っ直ぐに切り揃えられた「さよなら」の前髪が、瞼の瞬きと共に、困ったように一瞬揺れる。

「ウェイバーさんがしたいことをすればいいと思います」
「ていうかさあ。オマエいくつだ?ボクよりも年下じゃないか、その見た目。ボクが言うのもなんだけど、実際年齢ヤバいだろ」
「それでしたら大丈夫ですよ。一応基準は満たしていますから」

まあ確かに東洋人は若く見えるっていうし、「じゃあ一体いくつなんだ?」「27くらいです」「ヘエ。…………………………………………ヘエッ!?」それにしても、それにしてもだ。
こんな子供みたいな女の、10コも年下なのかよ、ボク。

告げられた年齢を確証に、見遣った彼女の顔はやはり幼く、シリアルに付属しているオモチャを嬉々として持ち歩いていそうで。どう控えめに見積もっても2つ3つはボクより年下に見てとれた。
骨董市でホンモノを品定めするかのような疑念の視線に気付いたのか、「さよなら」は「さあ」と胸の前で両手を合わせ、「わたし、ウェイバーさんのことが知りたいです」と胸を張るようにして言った。
この店の制服らしいコイツの衣装は、淡いピンクのストライプ地をしたナース服風のワンピースだったが、少なくとも今コイツは胸を支える類の衣類をつけていないようで──。張り出されたひときわ高いふくらみを直視できず、ボクは慌てて目を逸らす。

「ボ、ボクのことなんて聞いたって、何も面白くないだろ!」
「面白くない話の方がかえって面白いかもしれませんよ?」
「なんだよ、それ」
「ウェイバーさんはこんな所に来てもよかったんですか?楽しいですか」
「楽しいわけないだろ。そもそも、来てよかったかなんて、わからない。わからないんだけど、来るしかなかったんだ。だって────」
「だって?」

だってボクは女が嫌いなんだから。何度体感し、痛感したかわからないその気持ちは、はっきりと脳裏に刻み込まれ、いつでも吐き出せるよう喉の入り口で待機してるっていうのに、ボクは続けることができなかった。こちらの瞳を覗き込むようにして相槌を打つ「さよなら」の、その顔にほのかに浮かべられている微笑みを、抉りとってしまう言葉のような気がした。

「…オマエこそ、楽しいか?こんなところにいて、こんなボクなんかの相手をして楽しいのかよ」

ボクが自分を嫌悪するのは、こんな時だ。状況を鑑みれば、楽しいはずがない。自ら好んでこんな場所に務める女がどこの世界にいたものか。それをわかっていながら聞いてしまう。無思慮を押し付けてしまう。コイツもボクの嫌いな女の一人であるのだろうし、いや、もしかすると、或いは好きになってやってもいい稀有な女かもしれない。それを試す薄汚さが、ボクの腹部の皮膚下すぐそこ、臓物の中を小気味悪く蠢いている。

「ウェイバーさんはいくつなんですか?お若く見えますが、おじいさんなんですか?」
「な──」
「今までは楽しくなかったですが、今回は違うかもしれません。したいことがないのならどうかわたしを楽しませてください。そうすればウェイバーさんと過ごす時間がとても楽しいものになります」
「ハ────」

バカなんだろ、こいつ。それじゃどっちが客かわかったもんじゃない。
最高潮に呆れ返る。「さよなら」は人の感情すらろくに読み取ることのできない稀代のバカなのか、それとも、単純に抗議の眼差しに気付かないふりをしているだけなのか。クリスマスの夜、枕元に靴下をセッティングし、翌朝起こる奇蹟に胸を高鳴らせる子供のような期待を込めたその瞳で、ボクだけを見据えている。

「──いいか。今から種も仕掛けもある手品を見せてやるから、あんまり驚くなよ」

テーブルの上に座っていたうさぎのぬいぐるみをボクは手にとり、浅く息を吐き早急に精神を集中させると、三節ばかりの短い呪文を紡ぎ上げる。試みようとしているのは、習ったばかりの物を意のままに操る魔術。使い魔を行使する、初級みたいな術だ。
こんな生きてるのか死んでいるのかもわからない女。死んでいるのも同然だ。だとすれば、秘匿を原則とする魔術だとしても、少しくらい見せてやったって問題ないだろう。
死人に口なしっていうからな。

ボクがこれから成し遂げる魔術を見た「さよなら」が、驚くのか不思議がるのか気味悪がるのか微笑むのか。
ボクにはこの女の取る行動がわからない。
わからないから見てみたくなった。そんな余計な思い付きをついしてしまった。
これだからボクはボクを嫌いなんだ。
覚悟を決めると、お腹に力を籠め背中を伸ばす。そうしてボクは、開放した魔術回路からひとつの神秘を引き出した──。

「行くぞ────!」



▽△▽△▽△

「ねえウェイバーさん。さっきのどういう手品だったんですか?人を元気にしてくれるとか、そういう内面に対する手品ですか」
「うるさい!もうその話題は流れたんだよ。空気を読め、以後一切口にするなバカ」

結論だけ、書く。
失敗した。
失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した。
難しくもないその魔術を、なんとボクは、ものの見事にしくじったのである。
臆面もなく落胆するボクを見て、くすくすと笑う「さよなら」のその声が、トドメとばかりにボクの神経を逆撫でて仕方ない。うるさい、黙れ。それ以上笑うとどうにかして、どうにかするぞ。
驚くなよなんて前置き、ペテンもいいところだ。ボクはコメディアンじゃない。無様を晒して笑いを取って喜ぶ間抜けな精神など、露ほども持ちあわせてはいない。まったく情けないったらなかった。穴があったらお気入りの魔導書と共に、向こう五年は引きこもってやる。今この場所から速やかに脱出できるというなら、どこに繋がっているかもわからない落とし穴に、一握りの勇気を携え落下した方がマシだ。

「ウェイバーさん。わたしいつか貴方の手品が見てみたいな。だからまた会いに来てください」
「ふざけるなよ。なんでボクがこんな変な店に来ないといけないんだ。もう二度と来るもんか。絶対に来てやらない」

きつい口調でまくし立てるも、やっぱり「さよなら」は、口元に浮かべた優しい曲線をけして緩めない。そのくせ、

「なあ、だから今度はオマエがボクに会いに来い。それくらいオマエにだってできるだろ。ボクの名前はウェイバー・ベルベット五番街にある図書館に週二三はいるから、気が向いた時、世紀を揺るがす大手品を見に来ればいい」

という言葉には、よくわからない調合でできた液体で丸い瞳を潤ませるのだから、女というイキモノは、やはりまだまだ到底このボクには理解できそうにもない。